大晦日、新居にて。
一年の終わりは力もちうどんを頂くという自分ルールに今年も従うのであります。
決して「力もちうどんのことが一年の〆にいただきたいほど好きだ。」とか、「年末は力もちうどんを食うことが幸せだ。」とかそういう力もちうどん信仰をしているわけではない。
元来、年越しそばというのは「細く長く生きられますように」という願いを、細く長いそばになぞらえることで縁起物とする訳である。
もちろん年末は忙しいから、ささっと食えるものを。ということでそばが用いられた事が始まりであるも知ってるが。
しかし私はどうもそばが食えない。アレルギー云々ではなく嗜好的な問題で。それでもってうどんが大好物である。饂飩と漢字で書きたくなるほどに愛している。抱かれたい麺ランキング堂々の1位、饂飩。そんな感じである。2位は惜しくも敗れたラーメン。最下位は冷やし中華だ。貴様は「この世の中華のすべてをを冷やしましたよ。」という名前を変えてから出直してこい。
ともかく、そばが食えない私には年越しうどんしか選択肢がない。もしも年越しうどんに意味を与えるとするならば、「太く、長くも短くもなくそれなりに。」くらいのもんであろう。
私にはそれくらいの意味の方が好きだ。好きなものを我慢して痩せて健康になるくらいなら、好きなものを好きなだけ食って破滅して死ぬ方が好きな私にはピッタリだ。
しかし私は欲張りだ。ミックスグリルにドリンクバーにライス大。友達の頼んだ大盛りポテトを少しもらいつつデザートを注文。くらいには欲張りだ。もっと縁起よくしたい。
縁起物なんてどうせどっかの誰かが考えた何らかのダジャレやこじつけが浸透して出来たものだ。自分で考えても人に押し付けさえしなければ、バチは当たらないだろう。
そこで餅なのだ。「粘り強く、伸び伸びと、それでいて白い。白は潔白の色だからなんか、こう、良い。ポルナレフも言ってたし。」という意味を込めて餅だ。なんといっても年末年始っぽいし。旨いし。
肉うどんが食いたくなる気持ちを抑えてまで、縁起物にこじつけて、餅にすがり続けて何年になるだろうか。少なくとも彼女はできてないし、何かとりわけ特別に良い事があるわけでもない。
来年はカップヌードルにしようかな。