文責:キミタン

キミタンのブログ。それ以上でもそれ以下でもある。

だがしや

 友達と飯を食べた。サイゼリヤで地中海沿岸の山に暮らす山賊かのように喰らった。それでも3000円いかないんだからサイゼリヤを信仰するほかないのだ。

 

 その後やることもないので、しまむらなどを見て回る時間。絶対に相手に似合わない服を押し付けあうというイチャイチャを男女ではなく男男でやってしまった。楽しいのでまぁアリとする。

 

 小学校からの付き合いである友達と共に帰っていると、それはもちろん昔の話をする流れになる。死ぬほど通い詰めた公園や空き地や遊ぶのにふさわしいマンション横の謎のスペースの数々。そしてそれを通ることで呼び起こされる楽しかった思い出の数々。輝いて見えた。

 

 話が続くなか友達が「そういえばあの駄菓子屋も潰れたな」と言った。我々の住む街は「とかいなか」みたいな感じであり、コイン精米機を初めとする古きよき姿が今もなお現存している感じなのだ。

 

 駄菓子屋もその古きよき街並みの一つとしてカウントしてもいいだろう。10円単位で駄菓子がひしめき合い、100円以上の物を買うやつは金持ち。札を持ってくる奴にはおねだり。そんな日々が我々世代にも確かに存在した。

 

 私はてっきりまだその駄菓子屋が愛されていると思っていた。実際はそうではなく潰れていると知ったので、もちろんの事ながら理由を聞いた。

 

 「亡くなったやん」と友人は言った。一瞬飲み込めなかった。名も知らぬおばあちゃんではあるものの、地元の駄菓子屋を切り盛りしているパワフルおばあちゃんであることは周知の事実だった。私は怒られないように生きることに全てをかけているのでそんなことしてこなかったが、万引き等があれば人の会計中でも手厳しく叱っていたあのおばあちゃんが亡くなったとでもいうのだろうか。

 

 友人も亡くなった事を思い返したくないのかそれ以上は何も言わなかった。こちらも何も聞かなかった。

 

 友人と別れ、一人で家に向かって進んだ。小学生の当時は自転車を押さなきゃ登れなかった急な坂道を通った。

 

 高校生の私は、自転車を押すことなくそのまま走り登った。「これが成長なのかなぁ」と思いながら。

 

 駄菓子屋のおばあちゃん。あなたの見てきた子供たちは今も元気に過ごしています。

 

 きっと天国でも子供たちに駄菓子を格安で売っているんだろうな。