文責:キミタン

キミタンのブログ。それ以上でもそれ以下でもある。

春のうららかな帰り道

ブログ、忘れてないですよ。

 

暖かな気候になってきた。もう上着を着ずに登下校している。今日は友達6.7人と一緒に笑いながら帰った。トークテーマは変わったオナニー方である。あまりにも文面に表すとドギツイので詳細は書かないが、ざっくりいうと「友人のTくんはお尻も好き」ということである。

 

散々くだらない話で笑ったあと、自分一人だけ早めに曲がり角で別れなくてはいけなかった。皆とバイバイを交わしながら曲がる。曲がった先には自販機がある。何個も並んで置いてある自販機ジャングルだ。

 

めちゃくちゃ喋って笑って疲れているし喉も乾いた。カルピスが飲みたい気分だったがジャングルのくせに無かったのでホワイトソーダで我慢だ。安物の味が春のうららかな陽気で中和され、さも美味しい物を摂取している錯覚に陥る。

 

満足げにグビグビ飲んでいたら小学校から帰宅する女の子が見えた。そして私の目の前を通る数十歩前でスローペースになってこちらをじっと見ながらゆっくりと通ろうとした。

 

飲みたいのかなぁ。と思った。小学生には出来ない愉悦であるから羨ましいのだろうか。

 

…にしても見すぎである。ここまで見るかと思った。気づけばこちらもその女の子を見つめていた。両者まんじりともせずにらみあう。目を離した瞬間に喉元に飛びかかられそうなほど見てくるため、絶対に目を離すことは出来ない。

 

じりじりと幼女は距離を詰める。グビグビと飲みながら私は幼女を見る。ロング缶であることを後悔していた。早く飲み終われていればこのにらみあいをせずに済んだのだから。

 

そして私の前にいざその幼女が来ようかとした瞬間、その幼女はなんと一目散に走り去っていった。怯えた様子で爆走である。ランドセルも揺れてガシャガシャ鳴っているがおかまいなし。早きこと風のごとしである。

 

そう、別にホワイトソーダが羨ましい訳では無かったのだ。ただ、グビグビとロング缶のホワイトソーダを飲むおじさんのような太り気味の高校生が異質で仕方なく、ただの興味で見ていただけだったのだ。

 

そこをその謎の太りぎみの男が目を合わせてくるものだから足が止まる。向こうからしてみれば倍ほど体格が違う男に見られているのだ。下手な動きをすればやられると思い込んでいたに違いない。

 

そして何もしてこないと知るやいなや、全てを忘れるために、記憶を振り落とすために走り去っていったのだ。

 

悪いことをした。しかしこちらも言ってしまえばホワイトソーダを道端で飲んでいただけである。そこまでビビられるのも傷つく。

 

傷心を抱えていると選挙カーが通った。ウグイス嬢に「お疲れ様です!」と言われた。他意はなく、ただ学校お疲れ様です。と言われたに決まっているのだが、タイミング的にも最悪の煽りを決められたように思えた。

 

だから18になったらあの政党には票をいれてやらないことにする。そして落ちた政治家に「お疲れ様です!」とねぎらってやり、怯えた顔で一目散に逃げてやるのだ。

 

そうだ、商品紹介してみよう。

ブログが書きたかったのだが、何もイベントが起こらない日々を過ごしている。寝て起きて寝るループ。強いて言うなら模試を受けた事くらいだろうか。

 

ブログ書きたい欲が溜まったまま、模試のごほうびにコンビニでおやつを食べることにした。私のコンビニおやつルールとしては、「小さなジュース+レジ横の暖かいヤツ」を設けているので、今日もそれにのっとる事にした。

 

さぁ肉巻きおにぎりをチョイスし、ジュースを選ぶフェーズに入った際にある商品が目に入った。

 

それは今、嵐が活動休止するとかで大変盛り上がってるこの社会で今さらSMAPの名曲を2回繰り返したかのような商品名のものだった。

 


f:id:kimitan125:20190202204221j:image

 

Shake!Shake!Cream!である。高千穂農場のカフェオレを取ろうとした手はこれに伸びていた。

 

ブギーな胸騒ぎがしてチョベリベリ最高ヒッピハッピシェイクな気分だ。なんせキャッチコピーは「全ての甘党に捧ぐ」だ。捧がれてしまってはこちらとしても受け取らざるをえない。

 

なんでも生クリームが多めに入っていて、商品名の通り振ることで崩れて液体になるという商品らしく、表示された通りの回数を振ることにした。一振りごとにキムタクが「プルゥゥウハァー!」と言っているような気がした。

 

shakeネタが分からない人は調べていただくとして、いざストローから吸引。

 

なんだこれは。甘い。甘すぎる。美味しい。美味しい?美味しいか?甘い。それでいて滑らかだ。にしても甘い。例えるならなんだろう。ミルクセーキか?ミルクセーキだ。ミルクセーキのミルク部分を全部生クリームにしちゃいました。みたいな甘さだ。美味しい。美味しいか?

 

そんな思いが一気に去来した。なんだか分からないけどとにかく甘くて体に悪そうな味だ。ホイップをそのままチュッと吸う時の罪悪感が常にまとわりついて離れないような感覚だ。一口で飽きるタイプのドリンクだった。ケンタッキーのあの「チキン美味い!」と思った後の次の一口で「脂っこいな…」に変わる感情に似ている。

 

惰性でちびちび飲んだ。途中に塩分がほしくて先程の肉巻きおにぎりを食べた。ちまきが入ってるタイプなのでものすごくモチモチした。なんならタレと相まってほぼみたらし団子と同一だった。

 

ものすごくドリンクとは合わなかった。水と油。嫁と姑。晴天と屋内。豪雨と運動。そんなミスマッチが口のなかで広げられた。美味しい掛け合わせをハーモニーとよく例えるが、今回のはパンクロック、いや、不協和音が鳴り響いたと言える。

 

私の心の中のSMAPも解散してしまった。

 

 

 

自由律俳句集

自由律俳句を書き貯めるのが密かな趣味だ。そろそろ貯まってきたのでお見せしたい。今日はそんなブログだ。

 

ご覧いただきたい。

 

薬局の福袋効能はなんだ
 

そんなにLINEを小分けに送るか
 

制服カップルが家具を見る見るな
 

お湯を注ぎはじめてからか入れ終わってからか自問
 

日の沈むスピード何よりの風物詩
 

あいつかそいつかこいつだ屁をこいたのは
 

友人の家の匂いがここでもするとは
 

渾身の返信もスタンプで死ぬ
 

甘いコーヒーお菓子の甘さに負け苦味のみ
 

そんなことをCM使って引っ張る根性
 

生放送ほんとに生かどうかは信頼の問題
 

シューティングゲームのボスみたいな魚
 

いつになったら起きるパーティの主

塩にぎりを買う奴あえてが透けて見える
 

このタイミングでチョコリエールは攻めすぎじゃないか
 

イルカより阿呆かもしれない
 

知らん奴が近くにいる同窓会
 

眼鏡屋の店員の眼鏡の攻め方
 

肉が食いたいと言ったのに餃子とは
 

執拗にタンクトップを勧められている
 

店の隅で店内BGMにノる
 

クイズ番組見てる親子、子が賢い
 

欲しい巻数だけ無い
 

あまり校庭に犬は来ない
 

cmに行ったら便所来ないcm
 

飛べ鳩危ないから
 

ボールを取ってあげた仕草を真似られている
 

大玉たこ焼き思ってたより大玉
 

話そうと誘われると身構えてしまう
 

何色か分からない名称の分からない衣類
 

二連でハッカか
 

思っていたよりフリスクをくれる
 

そろそろ丁だろうまた半なのか
 

何が出るか分からないガチャガチャはYoutuberだけが引く
 

突如始まったドン・キホーテ面白グラサン選手権
 

何でそんな色のサングラスを喪中に買ったのか
 

寄せられた花のスケールに家のランクも出る
 

アクエリアスを寄越せポカリはいらない
 

オランゲで覚えよう
 

マクドナルドでサラダ
 

使い古された「スマイルお持ち帰り」
 

生きる意味を見つけるのが生きる意味、生きる意味見つかってるやん
 

まだ親知らず抜いてないのか
 

笑うと矯正が見えるところまで愛す
 

そうかそこにほくろか
 

過度にデフォルメする似顔絵店で愛想笑い
 

漢詩の時だけ古文の点が良い友
 

寸止めの百烈拳を喰らった
 

山賊の宴みたいな2番テーブル
 

ねじが余ったが強固なので知らん振り
 

表裏は無いが極悪
 

嫌いな奴にも誕生日
 

薄い内容が大きな音で
 

エンジン音を聞かせたい人と友達になれというのか
 

ノートPCの裏で暖をとる
 

無人島に何か好きなものを持っていけるなら希望
 

雑誌に埋もれたリモコンを探そう
 

娯楽が義務に変わるとき
 

ケンカする程仲がいいんだねと言われても本当に嫌い
 

自慰中の画面暗転写る顔阿修羅
 

ケンケンパの痕が刻まれた道を自転車で
 

砂場に築かれた城を崩してあげよう
 

運動すると言ってくれればビーサンにしなかったのに
 

逃げ場のない逃げ道
 

性器が性感帯だなんて言わなくてもわかる
 

薄らスベりを隠すように薄ら笑い
 

これは内輪かどうか悩む内輪だ
 

かすがいになれなかった子
 

右投げ左打ち右コキ左拭き
 

温泉いこうなんて計画は遂行されない

In 風呂

 完全に新年一発目のブログを書くタイミングを見失っていた。IKEAの棚を作る時の6番のねじくらい見失っていた。完全にこの世から消え去ったと思い込んでしまうくらい見失っていた。

 

 見失ったな~と思いながら風呂に入っていた。皆さんはどうしてるか毛ほども興味ないが私の場合は風呂に入りながらすることは考え事か熱唱かの二択なのだ。ここで「え?体洗うとかは?」などと聞く奴は「トイレットペーパー以外のものを流さないでください」という注意書きに「うんこは?」と聞くような時代遅れユーモアの持ち主なので無視する。

 

 とにかく今日は考え事の日だった。考え事といっても、国交についてとか国政についてとか年金問題高齢化社会などと言ったお堅い物ではなく、ブログの次のネタや明日の学校への憂いなどだ。見失ったな~という思いも考え事としてくくらせてもらう。

 

 考え事が小粒である以上、様々な思いが去来し様々な事を呟くはめになる。逆に何か一つのイヤな出来事に固執して延々と呪詛のような声で恨みをひとりでにぶつけているときもある。それがデトックスになるのか心身ともにサッパリした形で入浴を終わらせる事ができる。風呂の考え事というのは大事なのだ。

 

 しかし風呂の考え事はいつの間にか演技に移行していたりする。シャワーを浴びながら妻を失ってみたり、シャンプーをしながら大恋愛をしてみたり、リンスをしながら巨大な悪に挑んだり、体を洗いながらバンドを組んで売れてみたりのキミタンワンマンショーが催される。これもデトックスになるのか心身ともにサッパリした形で入浴を終わらせる事ができる。完全に即興で台本を考えているのにストーリーは破綻せずフィナーレを迎える。天才の所業なのではないかと勘違いさせてくれる副作用つきだ。

 

 さらに最近では進化して気付いたら一人で漫才をしている時がある。ボケもツッコミも自分だ。観客も。特にネタ番組を見たあとや仲間内の漫才大会の前後に巻き起こる事象であり、ここから産まれたフレーズややりとりも大いにある。ここだけの話、次の漫才での自分が考えたパートは浴室の中で即興で作り上げたのをブラッシュアップしているものがほとんどだ。

 

 もうネタ作りも終わったのに今日も漫才を一人でしていた。多分そういうのが好きなのだろう。気付いたらネタがスタートしているのだ。今回のネタはカラオケに行ったら楽しいという前提からスタートし、ボケがTSUNAMIを歌い始める。そしてそれはキリの良い所で終わらずに一番が過ぎBメロの途中でいきなり切る。ツッコミは声を荒げる。もう一回歌うが次は「I know 怯えてる」の「I know」だけ歌う。ツッコミは声を荒げる。

 

 次にボケはツッコミを巻き込んでデュエットでも同じことをする。奇跡の地球でだ。

桑田、もといツッコミは声を荒げる。

 

 次にボケはアーティストの代表曲を間違える。スキマスイッチの場合は全力少年や奏を差し置いてゴールデンタイムラバーを代表曲としたり、B‘zはいつかのメリークリスマス。サザンはマンピーのG☆スポットだし、ジョン・レノンに至ってはオノ・ヨーコと二人で「ジョン」「ヨーコ」と呼び合うあの奴だ。

ツッコミは声を荒げる。

 

 誰にも見せないからこのクオリティでも満足できるのだがいざブログにしようとすると何とも面白くない。そもそも活字で歌ネタを表現するのも間違いだ。

 

そして何より桑田佳祐が多い。我はエロティカ・セブンなのだろうか?

大晦日、新居にて。

 一年の終わりは力もちうどんを頂くという自分ルールに今年も従うのであります。

決して「力もちうどんのことが一年の〆にいただきたいほど好きだ。」とか、「年末は力もちうどんを食うことが幸せだ。」とかそういう力もちうどん信仰をしているわけではない。

 

 元来、年越しそばというのは「細く長く生きられますように」という願いを、細く長いそばになぞらえることで縁起物とする訳である。

 

もちろん年末は忙しいから、ささっと食えるものを。ということでそばが用いられた事が始まりであるも知ってるが。

 

 しかし私はどうもそばが食えない。アレルギー云々ではなく嗜好的な問題で。それでもってうどんが大好物である。饂飩と漢字で書きたくなるほどに愛している。抱かれたい麺ランキング堂々の1位、饂飩。そんな感じである。2位は惜しくも敗れたラーメン。最下位は冷やし中華だ。貴様は「この世の中華のすべてをを冷やしましたよ。」という名前を変えてから出直してこい。

 

 ともかく、そばが食えない私には年越しうどんしか選択肢がない。もしも年越しうどんに意味を与えるとするならば、「太く、長くも短くもなくそれなりに。」くらいのもんであろう。

 

 私にはそれくらいの意味の方が好きだ。好きなものを我慢して痩せて健康になるくらいなら、好きなものを好きなだけ食って破滅して死ぬ方が好きな私にはピッタリだ。

 

 しかし私は欲張りだ。ミックスグリルにドリンクバーにライス大。友達の頼んだ大盛りポテトを少しもらいつつデザートを注文。くらいには欲張りだ。もっと縁起よくしたい。

 

 縁起物なんてどうせどっかの誰かが考えた何らかのダジャレやこじつけが浸透して出来たものだ。自分で考えても人に押し付けさえしなければ、バチは当たらないだろう。

 

 そこで餅なのだ。「粘り強く、伸び伸びと、それでいて白い。白は潔白の色だからなんか、こう、良い。ポルナレフも言ってたし。」という意味を込めて餅だ。なんといっても年末年始っぽいし。旨いし。

 

 肉うどんが食いたくなる気持ちを抑えてまで、縁起物にこじつけて、餅にすがり続けて何年になるだろうか。少なくとも彼女はできてないし、何かとりわけ特別に良い事があるわけでもない。

 

 来年はカップヌードルにしようかな。

だがしや

 友達と飯を食べた。サイゼリヤで地中海沿岸の山に暮らす山賊かのように喰らった。それでも3000円いかないんだからサイゼリヤを信仰するほかないのだ。

 

 その後やることもないので、しまむらなどを見て回る時間。絶対に相手に似合わない服を押し付けあうというイチャイチャを男女ではなく男男でやってしまった。楽しいのでまぁアリとする。

 

 小学校からの付き合いである友達と共に帰っていると、それはもちろん昔の話をする流れになる。死ぬほど通い詰めた公園や空き地や遊ぶのにふさわしいマンション横の謎のスペースの数々。そしてそれを通ることで呼び起こされる楽しかった思い出の数々。輝いて見えた。

 

 話が続くなか友達が「そういえばあの駄菓子屋も潰れたな」と言った。我々の住む街は「とかいなか」みたいな感じであり、コイン精米機を初めとする古きよき姿が今もなお現存している感じなのだ。

 

 駄菓子屋もその古きよき街並みの一つとしてカウントしてもいいだろう。10円単位で駄菓子がひしめき合い、100円以上の物を買うやつは金持ち。札を持ってくる奴にはおねだり。そんな日々が我々世代にも確かに存在した。

 

 私はてっきりまだその駄菓子屋が愛されていると思っていた。実際はそうではなく潰れていると知ったので、もちろんの事ながら理由を聞いた。

 

 「亡くなったやん」と友人は言った。一瞬飲み込めなかった。名も知らぬおばあちゃんではあるものの、地元の駄菓子屋を切り盛りしているパワフルおばあちゃんであることは周知の事実だった。私は怒られないように生きることに全てをかけているのでそんなことしてこなかったが、万引き等があれば人の会計中でも手厳しく叱っていたあのおばあちゃんが亡くなったとでもいうのだろうか。

 

 友人も亡くなった事を思い返したくないのかそれ以上は何も言わなかった。こちらも何も聞かなかった。

 

 友人と別れ、一人で家に向かって進んだ。小学生の当時は自転車を押さなきゃ登れなかった急な坂道を通った。

 

 高校生の私は、自転車を押すことなくそのまま走り登った。「これが成長なのかなぁ」と思いながら。

 

 駄菓子屋のおばあちゃん。あなたの見てきた子供たちは今も元気に過ごしています。

 

 きっと天国でも子供たちに駄菓子を格安で売っているんだろうな。

そんな日があってもいい

 突然ではあるが、私の誕生日はいったい何月何日なのか皆様に考えていただこうと思う。

 

シンキングタイムスタート!

(マンボNo.5(テキーラ!のあれ)と共にご陽気ダンサー登場)

 

 正解は明日。12/5である。単純にマンボNo.5のくだりがやりたくて無意味に考えさせてしまったことは謝るとして、明日が私のお誕生日なのだ。

 

 どうということはなく例年通りいつも通りの日々を過ごすだろうし、何なら数学と英語表現のテストが待ち構えている。強いて言うならケーキを食べられることだけが喜びであり、プレゼントなんかはもらえる歳では無い。

 

 ただ、「あぁー、生まれてきたんだ。俺。年取ったんだ。俺。」と思うだけの日。テスト前だから誰にも祝われないし。

 

 それでいうと約2週間前にクラスメイトの女子が誕生日を迎えていた。LINEの名前をハングル文字にしちゃうタイプの女子が祝われていた。

 

 昼休みでもスマホを使ってはいけないのだが、大音量のハッピーバースデーを流し、大音量で歌い上げ、お菓子やら何やらをプレゼントされ、それを撮影し、インスタグラムに上げ、クラッカーを轟音で炸裂させる始末である。

 

 「誕生日だからいいよね!」オーラが教室を包んだ。口を開けば呪詛のような罵詈雑言が出るに違いなかったので黙って弁当を食べていた。あのハッピーバースデーの音量はマドンナのそれをも越えていただろう。

 

 別の日も別のクラスメイトの女子が祝われていた。変顔して!って言われたら男子も引いちゃうくらいの変顔をして、頑張っているのに変な空気になっちゃうタイプの女子が。

 

 もちろん昼休みには先程と同様の手順を踏んで祝われていた。テンプレートなのだろうか。また私は閉口したまま弁当を食べていた。

 

 疲れを感じながらもその日の授業を終え、いざ帰るか。というタイミングで事件は起きた。

 

 誕生日の子が、どこからか取り出されたシュークリームによって顔を汚されていた。「あぁ~それ炎上したじゃん。やっちゃうのそれ。」とか思った。

 

 シュークリームで汚された後、パイまでぶつけられていた。いや、もうここまで来ると大いじめというか森三中の域である。絵面に関しては深夜バラエティの様相を呈していたが、何分実力が不足していて何だかよくわからなかった。結局教室でクリームをつけあっていた。俺ら全員の教室で。クリームを。

 

 そんなバカな祝われ方をされるくらいならテスト前で良かったかなぁ。と切り替えられたので、その子たちには感謝しかない。

 

 ここまで書いて思ったのだが、メッセージで祝われる分にはとても嬉しい。愛されてるって感じがする。

 

 誰か祝ってはくれないだろうか…………

 

 これをオチにするのもどうかと思うけどそんな日があってもいい。