文責:キミタン

キミタンのブログ。それ以上でもそれ以下でもある。

In 風呂

 完全に新年一発目のブログを書くタイミングを見失っていた。IKEAの棚を作る時の6番のねじくらい見失っていた。完全にこの世から消え去ったと思い込んでしまうくらい見失っていた。

 

 見失ったな~と思いながら風呂に入っていた。皆さんはどうしてるか毛ほども興味ないが私の場合は風呂に入りながらすることは考え事か熱唱かの二択なのだ。ここで「え?体洗うとかは?」などと聞く奴は「トイレットペーパー以外のものを流さないでください」という注意書きに「うんこは?」と聞くような時代遅れユーモアの持ち主なので無視する。

 

 とにかく今日は考え事の日だった。考え事といっても、国交についてとか国政についてとか年金問題高齢化社会などと言ったお堅い物ではなく、ブログの次のネタや明日の学校への憂いなどだ。見失ったな~という思いも考え事としてくくらせてもらう。

 

 考え事が小粒である以上、様々な思いが去来し様々な事を呟くはめになる。逆に何か一つのイヤな出来事に固執して延々と呪詛のような声で恨みをひとりでにぶつけているときもある。それがデトックスになるのか心身ともにサッパリした形で入浴を終わらせる事ができる。風呂の考え事というのは大事なのだ。

 

 しかし風呂の考え事はいつの間にか演技に移行していたりする。シャワーを浴びながら妻を失ってみたり、シャンプーをしながら大恋愛をしてみたり、リンスをしながら巨大な悪に挑んだり、体を洗いながらバンドを組んで売れてみたりのキミタンワンマンショーが催される。これもデトックスになるのか心身ともにサッパリした形で入浴を終わらせる事ができる。完全に即興で台本を考えているのにストーリーは破綻せずフィナーレを迎える。天才の所業なのではないかと勘違いさせてくれる副作用つきだ。

 

 さらに最近では進化して気付いたら一人で漫才をしている時がある。ボケもツッコミも自分だ。観客も。特にネタ番組を見たあとや仲間内の漫才大会の前後に巻き起こる事象であり、ここから産まれたフレーズややりとりも大いにある。ここだけの話、次の漫才での自分が考えたパートは浴室の中で即興で作り上げたのをブラッシュアップしているものがほとんどだ。

 

 もうネタ作りも終わったのに今日も漫才を一人でしていた。多分そういうのが好きなのだろう。気付いたらネタがスタートしているのだ。今回のネタはカラオケに行ったら楽しいという前提からスタートし、ボケがTSUNAMIを歌い始める。そしてそれはキリの良い所で終わらずに一番が過ぎBメロの途中でいきなり切る。ツッコミは声を荒げる。もう一回歌うが次は「I know 怯えてる」の「I know」だけ歌う。ツッコミは声を荒げる。

 

 次にボケはツッコミを巻き込んでデュエットでも同じことをする。奇跡の地球でだ。

桑田、もといツッコミは声を荒げる。

 

 次にボケはアーティストの代表曲を間違える。スキマスイッチの場合は全力少年や奏を差し置いてゴールデンタイムラバーを代表曲としたり、B‘zはいつかのメリークリスマス。サザンはマンピーのG☆スポットだし、ジョン・レノンに至ってはオノ・ヨーコと二人で「ジョン」「ヨーコ」と呼び合うあの奴だ。

ツッコミは声を荒げる。

 

 誰にも見せないからこのクオリティでも満足できるのだがいざブログにしようとすると何とも面白くない。そもそも活字で歌ネタを表現するのも間違いだ。

 

そして何より桑田佳祐が多い。我はエロティカ・セブンなのだろうか?